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東京国際軍事裁判ニュース・2018・2017・2016/ 12~1
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東京国際軍事裁判ニュース・2018・2017・2016/12~1
2015・2 28 ユーチューブ 東京国際軍事裁判からマッカーサー証言 日本独立反対した社会党 村山談話 朝日新聞 民主党 ニューヨークタイムス 安倍総理 リビジョニストについて 重要 必見  
渡部昇一「 東京裁判とマッカーサー証言」「安倍総理はリビジョニストか」
「コメント」
戦後70周年に向けて、日本人のこころに未だに残っている「自虐史観」のルーツである「東京裁判」と「マッカーサー証言」について上智大学名誉教授、渡部昇一先生が鋭く切り込みます。
「マッカーサーは最初で最大のリビジョニスト」 いま米国でよく言われている「リビジョニスト(歴史修正主義者)」について詳しく解説いただいた。
安倍首相の「あらたな安倍談話」を世界に発信し、日本の戦後を終わらせるために。
日清戦争以来・シナ共産党の日本の共産化の歩み  目から鱗
2015・10・31 ユーチューブ 最重要動画・必見 
江崎道朗氏講演会「中国共産党による対日工作」【前半】チャンネル AJER主催 2015.10.25
江崎道朗氏講演会「中国共産党による対日工作」【後半】チャンネル AJER主催 2015.10.25
「コメント」
江崎道朗氏 講演会  10月25日(日)14時〜  『中国共産党による対日工作』  〜「百年冷戦史観」試論 【前半:42分】

 
※コミンテルンの恐怖シナ共産党日本共産党の関わりが語られている。
今の日本の財務官僚は共産主義思想であると・・・戦前と現在の日本の経済環境がよく似ている。
左翼基本は嘘つきプロパガンダしかやらない。
大東亜戦争=戦前からシナ大陸侵略戦争の定義付け、シナ共産党の悪辣さが語られている。
シールズ(共産主義者)も語られている。
日本に存在する
全ての疑問が解ける動画である。
2015・5・6 ユーチューブ 注目重要動画 
平成25年08月04日「ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任」講師:江崎道朗先生
「コメント」
スタジオ日本・特別報道番組 第8弾  日本会議福岡 第9回 追悼・感謝 英霊顕彰・県民の集い(平成25年8月4日開催)
[趣旨]
「ヴェノナ文書」が暴いたコミンテルンの戦争責任
  ■コミンテルンのスパイを暴いた「ヴェノナ文書」の衝撃
第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入していることを暴いた「ヴェノナ文書」の公開以降、同国内では、「ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの疑念が、確信へと変わりつつある。
当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。
しかも、そのピッチは近年、急加速していると言ってよい。
ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。
1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。
これら機密文書が次々と公開され、その研究が進んできた結果、ルーズヴェルト大統領の側近であったアルジャー・ヒス(傍線は共産党員又は協力者と思われる人物。以下同じ)を始めとする二百人以上のスパイ(あるいは協力者)が政府官僚として働いていたことが立証されつつあるのだ。

ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任
2012・1・24 ユーチューブ 重要 決して史実を埋めてはならない
スパイは我々の中に・・・ヴェノナファイル
「コメント」
ナシ
 
※江崎道朗氏の講演内容とヴェノナファイルが一致する。
日本人(政治家)が史実を口にするだけで、シナ共産党を始め韓国、日本の反日メディア、左翼、反日日本人が歴史修正主義者と一斉にレッテル貼りをし声を上げる。
反日アメリカメディアも同様である。
事実を知っているハズのアメリカメディアさえ今尚、共産主義者に牛耳られているのであろう。
もう一つある。
朝日新聞である。
注目すべきは朝日新聞は戦前、
日本国民に戦争を煽っている
そして、
GHQ占領下、朝日新聞の報道姿勢は一転、嘘を捏造し日本を貶め続ける。
朝日新聞の
戦前、戦中、戦後を通じシナ共産党の下部組織としてプロパガンダ報道を熱心に繰り返しているのである。
朝日新聞始め毎日新聞、東京新聞、NHK、日中友好議連、日中友好協会、シナに関わる全ての団体はシナのスパイに動かされていると言っても過言では無かろう。
ここで考えれば、何故、アメリカ政府は
過去の過ちを認め史実を元に正しい歴史と向き合おうとしないのだろうか?
※ 政治問題 ※ 反日を廃除・組織を立ち上げ大東亜戦争の総括しろ! 
日本人は決して東京リンチを甘受してはならない!
2018・9・3 (1/2ページ) パリ支局 【緯度経度】
産経ニュース 東京裁判、オランダのレーリンク判事の思い 三井美奈
「記事内容」
今年は東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決から70年になる。
戦犯法廷はその後、旧ユーゴスラビア国際法廷、常設の国際刑事裁判所に受け継がれた。
  「勝者の裁き」の側面はいまも残る。 ※当然、人種差別による白人のリンチである!
今夏、東京裁判の当事者2人の書簡を見る機会があった。
判事団の一人だったオランダのベルト・レーリンク判事、そして禁錮7年判決を受けた重光葵(まもる)・元外相だ。
ハーグの国立公文書館に保管されている。
レーリンクの書簡は1950年11月、重光が服役2年で仮釈放される際に書かれた。
知人にあて、
  「大変嬉しい。彼には将来、日本外交で役割を担って欲しい」とあった。
レーリンクは裁判で米英主導の
  「全員有罪」判決に反対意見を表明し、文官の無罪を主張した。
判決が下された後、
  「誤りだ」とマッカーサー元帥に請願し、重光の赦免に尽力した。
重光の書簡は、そんなレーリンクにあてた礼状だった。
  「あなたの深い理解に感謝する。裁判を通じて私は、自分のやってきた仕事を公にすることができた」。
釈放された重光は、再び外相となった。
56年、日本の国連加盟の受諾演説で、日本は
  「東西のかけ橋」になると誓った。
レーリンクが判決に反対したのは、
  「平和に対する罪」(侵略罪)を事後法だと考えたからだ。
インドのパール判事と同じ立場をとった。
アジアの植民地解放論者だったパールは
  「全員無罪」を主張した。
レーリンクは国際政治の現実を踏まえ、法の限界の中で裁く道を考えた。
侵略罪での死刑は不当としながら、戦勝国が敵を拘禁し、無力化することは認めた。
広田弘毅・元首相や重光ら文官は無罪が相当と訴えた。
その後の戦犯法廷の発展を見ると、レーリンクの方が貢献は大きい。
犯罪を裁くと同時に、犯罪が起きた土壌を根絶する役割が求められるようになった。
昨年、旧ユーゴ法廷閉廷に際してセルビア人弁護士を取材した。
彼は
  「やはり勝者の裁判でした」と言った。
91年以降の内戦は、米欧軍のユーゴ空爆で終結。
民間人が死亡したが、法廷で責任は不問にされた。
それでも彼は
  「裁判はやってよかった。われわれが時代に区切りをつけ、再出発できた」と言う。
法廷が
  「人道犯罪は必ず裁かれる」という原則を示し、バルカン半島に平和をもたらしたことを評価した。
レーリンクが目指したのも、国際法による戦争抑止だった。
3年足らずの滞在中、11人の判事の中で最も熱心に日本を探訪した。
仏教学者、鈴木大拙(だいせつ)らと交流し、日本理解に努めた。
55年には
  「もう物事を決着させるべき時だ」として、重光以外のA級戦犯も釈放すべきだと主張した。
三男のヒューホさん(73)は
  「オランダ政府は戦勝国である米英判事への同調を求め、父は反対意見を出すのに悩んだ。『裁判後のことをみんな考えていない』と懸念もしていた」と話した。
オランダは植民地東インド(インドネシア)を日本に占領され、反日感情は強く残った。
71年の昭和天皇の訪蘭時、レーリンクは
  「天皇に罪はない」とテレビで述べた。
元捕虜らの罵声を浴びても主張は変えなかった。
85年、78歳で没した。
歴史は事実の積み上げ! 多様性は史実の受け方!
2018・8・17 (1/2ページ) 論説委員兼政治部編集委員 【阿比留瑠偉の極言御免】
産経ニュース 歴史の見方にももっと多様性を
「記事内容」
日本を一方的に断罪した極東国際軍事裁判(東京裁判)をめぐっては、インドのパール判事が被告全員を無罪とする意見書を提出したことがよく知られるが、オランダのレーリンク判事も広田弘毅元首相や東郷茂徳元外相ら5人を無罪だと主張している。
そのレーリンク氏が、日本滞在中に書いた日記や書簡の内容が明らかになったという三井美奈記者の記事が、15日付本紙朝刊に掲載されていた。
詳細は元記事を参照してもらいたいが、こんなことを日記に記しているという。

  東京裁判「文官無罪」の葛藤 レーリンク判事の日記、詳細初めて明らかに

  「日本の歴史や国際法の研究を進め、多数派の意見だからといって絞首刑を宣告すべきではないという考えに至った」
いまだに東京裁判を単純かつ安易に正当化するような一部新聞や野党議員に、爪のあかを煎じて飲ませたいところである。
ともあれ、日本滞在中のレーリンク氏と交流があり、その日本観に影響を与えたのが児童文学
  『ビルマの竪琴』の作者であるドイツ文学者、竹山道雄氏だった。
竹山氏の著書
  『昭和の精神史』の中で、竹山氏がレーリンク氏に、昭和23年11月に出された東京裁判の判決の非合理性を訴える場面がある。
レーリンク氏はこう答えている。
  「いまは人々が感情的になっているが、やがて冷静にかえったら、より正しく判断することができるようになるだろう」
これは、次のパール氏の言葉と基本的に認識が通じている。
  「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には(中略)過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するだろう」
竹山氏の著書
  『ヨーロッパの旅』によると、それから8年後の31年、オランダの自宅を訪ねてきた竹山氏に、レーリンク氏はこう明言した。
  「あの判決はあやまりだった。もしあの裁判がいま行われれば、あのようには考えられないだろう。俘(ふ)虜(りょ)虐待などの通常の戦争犯罪は別として、政策の結果として起こったことに対しては、ああいう結論にならなかっただろう。おおむねインド人のパールのように考えただろう」
また、自分たち判事団は偏った情報しか持っていなかったと振り返り、このように反省している。
  「連合国側には共産主義の脅威ということは念頭になかった。(中略)外部からの挑戦-それへの反応ということについて、はなはだしい見落としがあった。その後まもなく中国が赤化したのを見て、そうだったのか、それほどまでにも脅威が迫っていたのかとおどろき、この点はまったく考え直されるようになった」
  「あのときの判事たちは法律家ではあっても、国際関係に通じている人々ではなかった」
興味深いのは、レーリンク氏が東条英機元首相を有罪と判断したものの、同時に高く評価していたことである。
特に、キーナン首席検事に対し、東条氏が大東亜戦争は自衛戦争であることや、天皇陛下には責任がないことを堂々と論理的に主張した場面には瞠(どう)目(もく)し、舌を巻いてほめていたという。
竹山氏によると、日本滞在中、何度もこうつぶやいていた。
  「Outstanding man!(傑出した男だ)」
毎年、お盆の時期にはテレビも新聞も先の大戦特集を組むが、東京裁判史観の延長線上にあるものが目立つ。
もっと歴史の見方にも多様性があるべきだろう。
新・オランダ・レーリング判事の日記
2018・8・15 (1/2ページ) アムステルダム=三井美奈 
産経ニュース 東京裁判「文官無罪」の葛藤 オランダ・レーリンク判事の日記、詳細初めて明らかに
「記事内容」
第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で広田弘毅元首相ら文官の無罪を主張したオランダ人判事、ベルト・レーリンクが日本滞在中に書いた日記や書簡の内容が明らかになった。
遺族が産経新聞に示したもので、日記の詳細が報道されるのは初めて。
被告を
  「全員有罪」とした判決への反発や、被爆地・広島を視察した時の衝撃が記されていた。
  「大地は真っ平らだ。石造の建物はほとんど残っていない。荒涼として悲惨な土地だ」
1946年3月末、広島を機上から視察した時の日記には、セピア色の航空写真が添えられていた。
視察機はこの後、噴火中だった鹿児島県桜島の上空を飛行。
流れ出る溶岩を見て、
  「大地は人間のようだ。平和はつかの間の均衡にすぎない。水面下で異なる力が働いている」と平和への考察を記した。
レーリンク判事は東京裁判のため、46年から約2年間、5人の子供と妻をオランダに残して日本に滞在。
85年の死去後、オランダの自宅で、家族あての100通近い書簡と日記が見つかった。
日記は、どのページも万年筆の青い文字がびっしり。
きちょうめんな人柄がにじみ出る。
裁判でレーリンク判事は多数派意見に反対し、当時の国際法から見て
  「平和に対する罪」(侵略の罪)で死刑は適用すべきでないとの立場をとった。
この時の葛藤を
  「私は望ましくない方向にある。同僚の意見や世論に沿わない」
  「だが、日本の歴史や国際法の研究を進め、多数派の意見だからといって絞首刑を宣告すべきではないという考えに至った」と記した。
多数派判決に反対する意見書を出した決断には、インドのパール判事の影響があったことも明かされている。
  「私はパール判事のように、独立した意見を示そう。この考えに興奮しながら、一晩を過ごした」。
パール判事は自身の意見書で、被告の全員無罪を主張。
両判事らの
  「少数意見」が判事団の対立を浮き彫りにし、
  「勝者の裁判」の正当性をめぐる論争の発端となった。
レーリンク判事は滞日中、日本各地を精力的に旅行し、日本人をつぶさに観察した。
富士山にも登り、
  「何百人もの日本人が平たいクッションに寝転がり、歌っている。私もコートを枕代わりに横たわった」と好奇心たっぷりに記した。
日本の禅文化を英語で紹介した仏教学者の鈴木大拙と出会った際は、
  「真理に対する東西文化のアプローチの違いを話した。すばらしい論議だった」と感激した様子だった。
判事の自宅では日記とともに、東郷茂徳(しげのり)・元外相(禁錮20年の判決を受け、服役中に死亡)の回想録も見つかった。
ドイツ人だったエディ夫人が、元外相の無罪を主張した判事に感謝を込めて、56年に送った。
表紙の裏に
  「レーリンク教授へ 永遠の感謝を込めて」という夫人の英語のメッセージが残されており、判事は生涯、手元に残していた。
  ■東京裁判 
第二次大戦に勝利した連合国が日本占領下で行った、日本の指導者の戦争責任を裁いた極東国際軍事裁判の通称。ベルト・レーリンク氏を含む11人の判事団は戦勝国から選ばれた。
A級戦犯として起訴された28人のうち、裁判中に死亡するなどした3人を除く25人全員に有罪が言い渡され、東条英機元首相ら7人が絞首刑となった。
レーリンク氏はインドのパール判事らと共に、この判決に反対し、個別の
  「意見」を提示した。
裁判は日本を
  「侵略国家」と断罪し、日本人に「自虐史観」を植え付けたとの批判もある。
捏造国家・中共が仕掛けるしつこい歴史戦に勝利しよ!
2017・11・26 上海=河崎真澄
産経ニュース 上海に「東京裁判記念館」 大学が建設計画 中国、愛国教育の拠点化 “戦勝国”の立場アピール

「記事内容」
第二次世界大戦に敗れた日本の戦争責任を戦勝国側が裁いた
  「東京裁判(極東国際軍事裁判)」に関する記念館の設置を、中国の上海交通大学が計画していることが25日、分かった。文献や証言の資料を中国側の視点で展示。
  「愛国教育基地」として公開する見通しだ。
同大学は2011年に開設した
  「東京裁判研究センター」で、人道に反するなどとされたB・C級戦犯の研究を行ってきた。
同センターで収集した資料の展示に加え、国際シンポジウムなどを開催するという。
設置時期は未定だが、関係者によると、キャンパス内に開設する可能性がある。
これまで同センターでは東京裁判の法廷記録(全80巻)や、証拠文献集(全50巻)を出版。
昨年は文献データバンクを開設し、研究者向けなどとして、ネット上で「東京裁判」の資料検索システムも構築して、着々と準備を進めてきた。
中国では昨年、上海師範大学が“慰安婦”問題をめぐり、キャンパス内に少女を模した像2体と、
  「中国慰安婦歴史博物館」を設置した経緯がある。
研究の名目で、大学を舞台に歴史問題で日本に対する圧力を強める狙いがありそうだ。
中国は“戦勝国”の立場を誇示するとともに、愛国心の鼓舞によって共産党政権への求心力を高める戦術だ。
日中戦争時の1937年、旧日本軍による南京占領で起きたとされる「南京事件」から80年となる来月13日、江蘇省の「南京大虐殺記念館」で行われる追悼式に、習近平国家主席が出席するとの情報もある。
東京裁判 第2次大戦に勝利した連合国が日本占領下で行った、日本の指導者の戦争責任を裁いた極東国際軍事裁判の通称。
1946年5月~48年11月にかけて行われ、判事は戦勝国から選ばれた。
28人がA級戦犯として起訴され、裁判中に死亡などした3人を除く25人が有罪を言い渡され、東条英機元首相ら7人が絞首刑となった。
裁判は日本を「侵略国家」と断罪し、日本人に「自虐史観」を植え付けたとの批判もある。
 ※シナ人と朝鮮人からここまで貶められる大日本帝国、嘘つき安倍総理は未だ動く気配さえない!
日本は今、大東亜戦争の総括が必要だろう。
しかし、研究をやるのはいいが、シナ人は時系列的に主張がおかしいと思わないのだろうか?
いくら、マイケル・ヨン氏も東京国際裁判には手が出せまい!
これは日本人のやる仕事、日本政府は予算を確保しろ!

日本人は今後、1兆円費やそうが必ず、英霊の名誉を回復せよ!
2017・10・13 ユーチューブ 
【海外の反応】衝撃・驚愕!「なぜ日本人は原爆を2度も落とされたのにアメリカが好きなのか?」日本人はアメリカをどう思っているのか?予想外の答えに親日外国人もびっくり仰天!
「コメント」
日本人が持つアメリカのイメージについて質問した動画がいくつかYoutubeに投稿されて話題になっていました。
アメリカに住む人たちにとっても日本という国は特に関わりの深い国ということもあって、どちらの動画にもアクセスが殺到していますが、日本人が答えるポジティブなアメリカ像はアメリカ人にとって意外なものだったようで、動画には多くの驚きの声が寄せられていました。
続きは動画でお楽しみください。
 
日本人はシナ人や朝鮮人と違い、大東亜戦争を戦ったアメリカを恨む必要はないが、アメリカが主導した東京国際軍事裁判に於いて、マッカーサーと蒋介石が捏造した嘘で判決が下されている。
近い将来、必ずアメリカに判決理由を修正させる必要がある。
その為にも日本政府に大東亜戦争の総括を開始させてほしい。
天皇陛下と大日本帝国、靖国眠る英霊の皆様の名誉だけは回復させなければならない。
これから生きる日本人の使命である事を肝に銘じてほしい。
大日本帝国軍人の多くの美談を知って欲しい。
日本人は天皇陛下の日本に生まれ育ったことを誇りに思って欲しい。
着眼点・攻撃は最大の防御!
2017・6・5 チャンネルくらら 日本人必見動画!
【6月5日配信】江崎道朗のネットブリーフィング「トランプがアメリカの保守派に支持された理由!今が東京裁判史観見直しのチャンス!」おざきひとみ【チャンネルくらら】

「放送内容」
安倍総理「9条改憲」をどう読み解くか。
日本人だけが知らない戦時国際法とは?【評論家・江崎道朗】https://nikkan-spa.jp/1336336
★チャンネルくらら6月の定期スポンサー特典は
特別動画「コミ友学園からクシュ友学園へ!ロシアゲートの正体は・・」(上念司・桜林美佐)です!
トランプはウォーターゲート事件のニクソンのように弾劾されてしまうのか!?ロシアゲートの正体は・・
マクロ経済解説と合わせてお話します!桜林さんが、●●になっちゃう!?
 
※江崎さんはトランプ政権時、東京裁判史観の見直しを主張! 本来、日本政府が率先してやるのが筋道と思う。
しかし、GHQは日本占領下、日本人に有益な大麻を薬物と認定、未だに、大麻栽培が違法とされたまま、利権化されているのが現状である。
日本文化である大麻さえ見直しが出来ずにいる状況下、日本政府は東京裁判史観見直しに進めまい。
是非、私的に見直しをやり、レポートを意見書として日本政府に叩きつけて頂きたい。
日本の政治情勢下、握り潰されるのが落ちと思うが・・・
嘘つき安倍総理より、日本国が理想とする政治家の発掘が急がれるのだが・・・
無知な日本人
2016・9・11 チャンネルくらら 重要動画 
【9月11日配信】特別番組「アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄」江崎道朗 千葉麗子【チャンネルくらら】
「放送内容」
アメリカと日本はいつ「東京裁判史観の呪い」から解き放たれる!? ついに、スーパーユニット誕生!?
2016・5・2 産経ニュース 
石原慎太郎が東京裁判で味わった屈辱とは… 裁判とは言えぬずさんな政治ショーを斬る
 ※下の記事と表題が異なるが内容は同じ 産経が並々ならぬ情熱を傾けている証である
石原証言
アメリカの戦争犯罪を隠蔽するためのリンチ、政治ショー
2016・4・29 産経ニュース (1/7ページ) 【国会議員に読ませたい敗戦秘話】 重要記事 必見
東京裁判は、マッカーサーが自らを「極東の統治者」だと演出づけるための政治ショーだった
「記事抜粋」
  ■国会議員に読ませたい敗戦秘話
  ~敗戦から79年。なぜ我が国は繁栄しているのか?~
雨が降っていた。
正確な日時は覚えていない。
旧制湘南中学校の学生だった石原慎太郎(元東京都知事)は、隣に住む大学生に連れられて東京裁判の傍聴に行った。
父、潔がどこからか傍聴券を手に入れてくれたからだった。
法廷があったのは、大戦中は大本営陸軍部が置かれた東京都新宿区の陸軍士官学校(現市ケ谷記念館)。
2階の傍聴席につながる大理石の階段を上がると踊り場で進駐軍の憲兵(MP)に肩をつかまれた。
  「キッド(小僧)!」
大声で怒鳴られたが、何を言っているのか分からない。
大学生が「『うるさいから下駄(げた)を脱げ』と言ってるぞ」と耳打ちした。
仕方なしに下駄を脱ぐと、MPは下駄をけり払った。
石原ははいつくばって下駄を拾い、胸に抱いてはだしでぬれた階段を上った。
以下、重要証言、記事をご覧あれ!
中略
     ×     ×     ×
東京裁判のずさんさは数え上げれば切りがない。
検事団も判事団も戦勝国のみ。
A級戦犯の「平和に対する罪」は終戦近くになって編み出された概念にすぎない。
戦勝国に不都合な被告側の証言は通訳を停止し、記録に残さなかった。
しかも被告の選定には、戦勝国の利害が露骨にからんだ。
中略
安倍晋三首相は、憲法改正について「私の在任中に成し遂げたい」と明言しています。
つまり在任中に衆参両院で改憲勢力が3分の2以上を占める情勢になれば、米軍占領下の1947年5月に施行以来、指一本触れることができなかった「平和憲法」の是非を国民一人一人に問いたいと考えているわけです。
決断の時は迫りつつあります。
国会議員が与野党を問わず、戦後の真の歴史を知らずして、その時を迎えるとしたら、日本国民としてこれほど不幸なことはありません。
国会議員よ、歴史から目をそむけてはならない。本書にはこんなメッセージがこめられています。
 
※産経よ、現憲法を平和憲法と記すな! 少しは考えて記事を書け! 嘘つき安倍総理は過去、憲法改正を口にしたが、彼の政治手法を考えれば、憲法改正も保守派を騙す嘘の可能性がある。